38歳の雑記帳

35歳にして改めてギターの練習を始めました!目標はセッションバーでセッションできるようになること!

【10万円もらえたらパソコン買います】わたしの転機

今の会社に勤めて10年が経った。

最初の1年目は俗に言う、

「社会人一年目の試練」

が降りかかり、

5月病をこじらせて鬱っぽくなったり、

現在進行形でお付き合いしている

「持病の痔瘻ちゃん」と

初めて会ったのもこの時。

 

ボクは大学時代まじめな学生では全然なくて

学校にも行かずグラフィティアート

(脚注:壁に絵をかいてお巡りさんのお世話になること)

に精を出したり、

当時最大の愛を育むこと

(脚注:大好きな彼女の家に入り浸って単位を落とすこと)

に精を出したりすることしかしていなくて

自分の将来のことなんかまったく考えていなかった。

「働かずに楽しく暮らしたい」

これが至上最大の目標であり、

当時ただ年齢的に成人を迎えていただけのボクは

この目標を達成するべく、

「就職しない」

という選択肢を取ったのだ。

(なんの選択肢も取らなかっただけとも言える)

そんなわけで晴れて大学卒業後

(彼女との愛を育んだ結果5年大学に行くことに)

フリーターに。

思い起こせば、

派遣のアルバイトばかりやっていた

このフリーターの期間も

今の自分の土台を作ることになったんだと思う。

ボクの所属していた派遣会社は

基本的に男性には肉体労働の仕事しか回ってこず、

引越屋、荷上げ屋、運送屋の三つがメインだったのだが

引越屋のバイトが一番辛かった。

特に真夏の団地の4階からの引っ越しが空前絶後のえげつなさだったのは

今でもはっきり思い出せるし、思い出すだけで嫌な気分になる。

3リットルくらい水飲んで最終的に一日で3キロ痩せたという笑

体力的な部分も辛かったのだが、

派遣労働者という立場も辛かった。

もちろん大事にされるわけはなく、

ただ人足としてしか見られないというのは

働いているけど、社会の一員ではないという

むなしい気持ちになった記憶。

このむなしさを感じたことは大きかった。

そして、ロクに大学に通うこともできなかった自分が

(決して反省しているわけではない)

おぼろげながら社会の仕組みを知ったのが

(というか刷り込まれたのが)

この時期だったと思う。

 

そんな時期が一年位あり、

今の会社に就職をしたわけだが

冒頭に書いた通り、

一年目は本当に辛かった。

入社してすぐにインターネット広告の営業の仕事に

就いたのだが、営業を初めてやる自分がうまくいくわけもなく

毎日上司に追い詰められ

頑張ろうと思っても実績改善の糸口も見えず、

気持ちだけが空回りする日々。

結果、ベッドから起き上がる気力もなくなるという始末。

そんな自分を見かねて、半年ほどで部署異動となった。

この部署異動が

「わたしの転機」

だった。

新しい部署は、一般のお客様向けの店舗への配属で、

それまでの法人営業よりも

正直そのハードルは低く感じられた。

このことは

「進学高校のビリよりもバカ高校のトップの方が生きやすい」

という人生の教訓をより確固たるものにするのだが、

それはまた別のエピソード。

f:id:hrim9682:20180428171950j:plain

毎日上司に怒鳴られながら、

上手く働けない自分をどうすることもできずに

ただただ、もがいていた自分だけど

この「もがき」は無駄じゃなかった。

新しい部署での仕事がすごく楽に感じられるようになっていた。

知らないうちにレベルアップしていた感覚。

そこからはトントン拍子で職位を上げることができた。

それもこれもあの苦しかった日々のおかげ。

昔の人達が

「若い時の苦労は買ってでもしろ」

というのもうなずける。

その時は辛くて辛くてしょうがないけど、

後になってみればその辛さが自分を成長させてくれている。

(後にならないと分からないのが玉にキズだが)

転機だってそう。

後になってみなければ分からないから

人生は面白い。